日本メディア学会2024年春季大会で研究発表をします(6/16、成蹊大学)

今週末の日曜(6/16)に、日本メディア学会の大会で研究発表をします。現地では初参加の学会(前回はオンラインで視聴)ですが、出版/メディア史寄りの発表内容なのでエントリーしてみました。1923年に刊行された『アサヒグラフ』における漫画的な表現を検討するという内容です。同紙掲載の「正チャンの冒険」「親爺教育」については昨年末に学習院大学で行われたシンポジウムでも詳しく取り上げられました(参考:12/23(土)「シンポジウム<漫画史再考> 100年前のニューウェーブ:正チャンの冒険、ノンキナトウサン、親爺教育、そして震災」に向けて)。一方、紙面全体の状況や、それ以外の漫画的な表現についてはあまり知られてきませんでした。今回はその辺りを扱うつもりです。以下、学会のサイトでも公開されている要旨を載せておきます。残念ながら研究発表はオンライン配信等が無いようですので、関心のある方は現地参加をご検討ください。PassMarket(日本メディア学会 2024年度春季大会 in東京)から、6/13(木)17:00までの参加登録が推奨されています。

日刊『アサヒグラフ』(1923)における漫画的表現の展開 風刺画と「ストーリーマンガ」のあいだ

(1)研究の目的

日刊『アサヒグラフ』は、1923年1月25日の創刊号から同年9月1日の第220号まで発行された日本初の日刊写真新聞である。関東大震災の影響で休刊を余儀なくされたが、同年11月 14日からは週刊誌として再出発し、2000年まで継続して刊行された。

マンガ史研究において、同紙は「正チャンの冒険」と「親爺教育」という2つの「ストーリーマンガ」的表現が連載された媒体として知られている。これらはコマ割りやフキダシなど現代のマンガと共通する形式を備えており、しばしば日本の出版メディアにおけるマンガ的表現の源流ともみなされてきた。本発表では、日刊『アサヒグラフ』に掲載されたマンガ的な絵画表現を総合的に分析したうえで、当時の紙面における2作品の位置付けを検討する。1920年代初頭の日本の出版メディアにおいて、複数のコマを使って物語を描く「ストーリーマンガ」的な表現の連載という試みがいかに実現したのかを明らかにすることが、その目的である。

(2)先行研究との差異

『アサヒグラフ』に関する先行研究の多くは写真史・ジャーナリズム史的な関心に基づくもので、その写真新聞・グラフ誌としての性格に注目してきた。これらの研究では、視覚性を重視した画面構成の一環としてマンガ的表現の存在が指摘されることはあっても、具体的な分析は行われていない(金子1999、添野2003)。

一方、マンガ史研究においては「正チャンの冒険」と「親爺教育」という2つの連載作品が注目されてきた。2作品は、日刊『アサヒグラフ』休刊後にも朝日新聞本紙や週刊『アサヒグラフ』で連載が続き、単行本が刊行されてそのキャラクターが人気を博すなど、一定の社会的影響力を持ったとされる。ただし、先行研究は作品自体に注目する傾向が強く、日刊『アサヒグラフ』紙面におけるその位置付けは十分に検討されていない(竹内1995、宮本2003、Exner2021)。また、同紙には2作品以外にもコマ割りされたマンガ的表現や、当時一般的に「漫画」と呼ばれていた風刺画的な表現が多数見られたが、これらについてもほとんど研究がなされていない。

そこで本発表では、日刊『アサヒグラフ』に掲載された漫画/マンガ的な表現を包括的に検討したうえで、当時の紙面全体のなかでの「正チャンの冒険」と「親爺教育」の位置付けを考察する。結果として、マンガ史において日刊『アサヒグラフ』が果たした役割を明らかにすることが見込まれる。

(3)研究の方法

朝日新聞社のデータベース「朝日新聞クロスサーチ」および国立国会図書館所蔵の資料を用い、日刊『アサヒグラフ』全220号を調査した(1923/1/25-9/1)。全体的な紙面構成を把握したうえで、掲載されている漫画/マンガ的表現を抽出、その内容や掲載面等の変遷を整理し、基本的な資料とした。これに朝日新聞社社史や当時の編集者の回想など二次的資料を加え、これらの表現の掲載や連載に関する編集部の意図や紙面構成が果たした役割について考察を行った。

(4)得られた知見

日刊『アサヒグラフ』は1月25日の創刊当初から、紙面の各所に漫画/マンガ的表現を取り入れていた。創刊号から連載された「正チャンの冒険」のほか、岡本一平による 4 コマ形式の漫画漫文、樺島勝一による風刺画など多様な表現が見られる。さらに4月1日からは、米国の人気新聞コミックス Bringing Up Father の翻訳版である「親爺教育」の連載が始まった。「正チャンの冒険」もイギリスの新聞コミックスから着想を得ていたように、連続コママンガの連載企画には欧米の出版文化からの影響が強く見られた。

「親爺教育」は同紙におけるマンガ的表現の形式に大きな変化をもたらしたと考えられる。これ以降、説明文を付さずフキダシを使う「親爺教育」と同様の形式の作品が増えていった。Exner(2021)も指摘するように、この時期からコマとフキダシでストーリーを描く現代的な形式のマンガが日本の出版文化において存在感を示すようになったことを考えれば、本作の影響は重要である。

一方、当時の『アサヒグラフ』編集部は、「親爺教育」をこれまでに類の無い全く新しい表現として提示したのではなかった。本作はあくまで米国における「漫画」の一種として紹介されており、当時の人々にとっても、岡本一平の作品と同じ「漫画」カテゴリの表現として理解可能なものだったはずだ。一枚絵の風刺画や漫画漫文、広告漫画、子供向けの「正チャンの冒険」など様々なスタイルの漫画/マンガ的表現が混淆していた『アサヒグラフ』の紙面においてこそ、「親爺教育」もまたそれらのバリエーションの 1 つとして受容されえたと考えられる。