「セカイ系」のあとに:『ユリイカ』今井哲也特集号のこと

とても年末なので、今年中に記録しておこうと思っていたことを慌てて書いているのですが、『ユリイカ』2022年11月号の今井哲也特集に寄稿しました。今井哲也氏はマンガ家で、とくに最近ではアニメ化もされた「アリスと蔵六」という作品が有名です。私は「二一世紀のイソップ:『デルポイへの道』における寓意・模倣・宿命」というタイトルで、オリジナルの同人作品について論じています。今井作品の主題やスタイルについて、詳しくは『ユリイカ』の特集を読んでいただくとして、ここでは、なぜいま今井哲也なのかという点について、自分なりの考えを簡単に書いておこうと思います。

今井氏は、2008年に『アフタヌーン』に投稿した作品「トラベラー」で新人賞(四季賞)を受け、プロのマンガ家として本格的に活動を始めました。『アフタヌーン』で「ハックス!」「ぼくらのよあけ」を連載したのち、2012年から徳間書店の『COMICリュウ』で「アリスと蔵六」の連載を開始します。同作は、2013年の文化庁メディア芸術祭マンガ部門で新人賞を受賞するなど高く評価されており、2017年のアニメ化も話題になりました。2022年の秋には、およそ10年ほど前に連載された「ぼくらのよあけ」が劇場アニメ化されるということで、今回の特集はこの映画に合わせたものだったようです(詳細な経歴については、『ユリイカ』所収のインタビューや「主要作品改題」をご覧ください)。

さて、その作風は今のマンガ界のなかでどのように位置づけられるでしょうか。私の考えでは、『アフタヌーン』らしいオフビート気味の青春ものから出発しつつ、とくに「アリスと蔵六」以降「萌え」的な画風をものにしていったそのスタイルは、俗に「セカイ系」と呼ばれてきたような物語のあり方、すなわち(仮にそのようなものがあるとして)ある種の「ゼロ年代オタク」的なナラティブを批判的に継承し、非常にまっとうな仕方で乗り越えようとしているように感じられます。「セカイ系」的な世界観は、いわゆる「社会」を描こうとせず、内省的で閉鎖的、ときに無責任なものとして、しばしば批判されてきました(「セカイ系」という用語がそもそも何を指していたのか、そのようなジャンルが本当に存在していたのか、批判は妥当なのか、といった問題は改めて検討が必要ですが、今回は措きます)。

「アリスと蔵六」に顕著なように、いわゆる「セカイ系」的な設定をベースにしつつ、そのなかに子供たちを見守る責任ある大人や社会の姿を導入することで、今井作品は、大人になった「オタク」的ナラティブを実現しようとしているのではないでしょうか。ちなみに、このような作風が今井氏の人柄とも親和的であるらしいことは、特集内のインタビューや対談、マンガ家仲間によるオマージュイラストといった記事からうかがえます(余談ですが、ヤマシタトモコ氏が寄せた1ページのマンガのなかで、「今井哲也はこんなポーズをとらない」とツッコミが添えられたイラストはとても素晴らしく、しばらく頭から離れません)。

そして、このような今井作品に対する見方は、いくつかの論考(とくに江永泉氏の「セカイとうまくやっていくこと:『アリスと蔵六』」、髙橋志行氏の「今井哲也作品と『メギド72』:その相通ずる美点について」)でも共有されていたように感じました。やはり今井哲也は、「ゼロ年代」を発展的に引き受ける作家として、2010年代以降の日本のマンガ文化のなかに、そのポジションを定めてきたのではないでしょうか。

とはいえ、このような見取り図だけでは、2008年から2010年にかけて『アフタヌーン』で連載された「ハックス!」のような作品の魅力は、十分に説明できないようにも思います。そのあたりも含めて、今井哲也作品の全体像をつかむためには、ぜひ『ユリイカ』の特集をご覧ください。