東京大学オープンキャンパス2024に寄せて(『研究費で作った本』PDF版無料公開/授業料値上げの動きについて)

今日と明日(8/6・7)の2日間にわたって東京大学のオープンキャンパスがオンラインで開催中とのことです。今からでも参加登録可能なプログラムもあるようなので、東大での教育・研究に関心のある方はチェックしてみてください(https://www.u-tokyo.ac.jp/opendays/index.html)。今回は、公式のものとは無関係ながら、東京大学大学院(博士課程)の在籍者として自分なりのオープンキャンパスを勝手に行うべく、この文章を書いています。

内容は大きく2つ。5月から紙版を配布してきた『研究費で作った本』PDF版公開のお知らせと、ここのところ話題になっている東大の授業料値上げの動きについての所感になります。前半は大学院生が行なっている研究内容の紹介、後半はこれから進学を考えている方に深く関わる問題ということで、どちらも極めてオープンキャンパス的な話題のはずです。そして、2つのトピックは実のところやや微妙な関係にあります。後半ではそういった話もします。もちろん冊子に関心のある方はそこだけご覧いただいても構いません。もし時間と気持ちに余裕があれば後半も目を通してみてください。

1. 『研究費で作った本』PDF版を公開しました

5月から紙の冊子として配布してきた『研究費で作った本』のPDF版が「東京大学学術機関リポジトリ」で公開されました。戦前戦中期、特に1920-30年代のマンガに関する研究の経過をまとめたものです。どなたでも無料でダウンロードできます。

【概要】『研究費で作った本 マンガにおけるテクノロジー表象の歴史的研究 科学技術イメージとマンガ表現の関係 2023年度報告書』について(https://ryokageyama.com/blog/1349/

【PDFダウンロード】東京大学学術機関リポジトリ(http://hdl.handle.net/2261/0002009975

この冊子の制作費は、「マンガにおけるテクノロジー表象の歴史的研究 科学技術イメージとマンガ表現の関係」というタイトルの科研費(特別研究員奨励費)から支出しています。研究費を使用しているため、印刷費のかかる紙版も無料で配布してきました。

このような事情から対価を受け取ることはできませんが、もし本学での研究に関心を向けていただけるのなら、例えば東京大学基金への寄付をご検討ください。(所得控除ではなく)税額控除が可能な就学支援事業基金がおすすめです。いずれのプロジェクトでも私の元へ直接入ることはありません。目下財政難にあるという本学にとって、寄付金(とその運用益)はますます重要な財源となっていくようです(これはお願いというほどのものでもなく、オープンキャンパス的な大学紹介の一環と思ってください)。

2. 東京大学における授業料値上げの動きについて

さて、本学に限らず国立大学の資金難は大きな問題となっています。「もう限界」というフレーズと共に報道された今年6月の国立大学協会の声明は、「国立大学の危機的な財務状況」を訴え、「皆様の理解と共感、そして力強い協働をお願い」するものでした。今年5月の報道以来たびたび取り沙汰されている東大の授業料値上げ問題も、こういった事情を背景に浮上したものです。当初は7月に発表予定とされた値上げですが、報道を受けて展開された反対運動を受け、現時点では検討中となっています。

事態の経過は、このNHKの記事(https://www.nhk.or.jp/shutoken/articles/101/008/59/)が分かりやすいかと思います。大まかには、(1)5/16:東大が授業料値上げを検討していることがメディアで報じられる、(2)教養学部学生自治会等を中心に情報の開示や値上げの取り止めを求める運動が行われる、(3)6/21:オンライン「総長対話」にて総長から参加した学生に向けて検討中の案が説明される、(4)7/12:値上げは検討中で結果は11月までに公表予定と発表される、という流れです。

報道によれば当初は7月に決定事項として値上げを発表する予定だったようで、「総長対話」の開催や決定の延期は反対運動を受けたものと考えられます。

私自身はこれまで積極的に反対運動に参加してきたわけではありませんが、今回の値上げに対する立場は概ね共有しています。広く就学機会を確保するという観点から原則として値上げには反対であり、とりわけ今回の不透明なプロセスには大きな問題があると考えています。ちなみに、私の所属する表象文化論コースからも授業料値上げに関する同様の決議が出されており、こちらにも賛同するものです。

今回の値上げについての一般的な問題点は、すでにいくつかのメディア等で論じられてきました。よくまとまったものとして、犬飼淳氏による集英社オンラインの記事を挙げておきます(https://shueisha.online/articles/-/251102?page=1)。私としても、値上げの必要性や目的について十分な説明がないこと、また、そもそも当初は在学生や進学希望者に向けて事前に説明するつもりが無かったと思われることが最大の問題だと考えています。公式のオープンキャンパスでは取り上げられにくい話題かと思いますが、今後進学を考えている方にこそ関わる問題であり、積極的に周知されるべき内容のはずです。

以下ではさらに具体的な話をします。さすがに細かいので飛ばしてもらってもかまいません。第3節ではもう少し大きな話をするので、最後にそちらだけでもご覧ください。

まず、今回の騒動について個人的に確認しておきたいのは以下の2点です。

(1)学生は必ずしも自らの学費のために反対運動を行なっているのではないこと

授業料の値上げは早くても来年度の入学生から適用されるため、在学生の多くにとっては直接的な負担にはなりません。特に、私のようにすでに博士課程まで進んでいる場合は全く影響がない可能性が高いです。それでも、身の回りには積極的に反対運動に関わってきた博士課程生も多くいます。もちろん、大学院への進学を考えて自らの問題として反対している学生もいますし、その切実さも軽視されるべきではありません。とはいえ、総じて今回の反対運動が自らの学費負担を減らすためのものというより、国立大学のあるべき姿をめぐるものであることは知られて欲しいと思います。

(2)国立大学が「広く修学機会を提供する役割」を担うという見解は大学側も共有していること

国立大学に「広く修学機会を提供する役割」が求められることは藤井総長も学内向けの説明で認めており、値上げによって修学機会が制限されるべきではないという点では反対派とも同意見のはずです。したがって「通える人だけが通えば良い」といった主張は、今回の件に限っては争点にすらなっていません。少なくともこの建前は守られており、これを具体的に実現できるのか、また、この原則が損なわれるリスクを負ってでも値上げする必然性があるのかが問われています。

以上を踏まえつつ、大学が学生向けに行った「総長対話に関するアンケート」への私の回答も転載しておきます。とにかく具体的な説明を求める内容です。個人的には、ここで示した条件が満たされるのなら値上げそのものは許容可能とも考えています。

主に以下の3点について、大学当局から学生および広く社会全体へ、とりわけ今後の進学を考えている受験生やその家族等に向けて説明が必要だと考えます。

①授業料値上げの必要性について
大学の財政状況が厳しいことは理解しました。それに対してとりうる施策のなかで、授業料の値上げがどのように位置付けられるのか、明確な説明を求めます。

まず、高等教育へのアクセスの平等性という観点から、授業料の値上げは国立大学の財政状況の改善作として最も後に検討されるべき手段だと考えます。この点について、当局の見解をお聞かせください。

また、授業料値上げの前に検討すべきと考えられる以下のような手段について、それぞれこれまでにどのような試みを行ってきたのか、その成果がどのようなものであったのか、説明をお願いします。
・運営費交付金引き上げの要求や交渉
・エンダウメント型経営への転換
(・研究成果等を活用した経済活動)

これらの手段を検討した上でなお学生に負担を転嫁せざるを得ない状況なのであれば、これらの施策では不十分である根拠を示してください。

②値上げによる増収の使途について
値上げによる増収分の予算がどのようなプロジェクトに使われる見込みなのか、可能な限り具体的に示してください。どのようなメリットと引き換えに負担が増えるのかが不明な限り、負担者の理解を得ることは困難と考えます。

③授業料免除の拡充について
現行の授業料免除制度の最大の問題点は、「予算の範囲内で半額又は全額免除」といった規定により、免除の可否や程度が不明瞭になっていることです。

申請する学生にとっては、基準を満たしていても却下される可能性があることは大きな負担です。事前の確約が不可能なことは理解しますが、「一定の収入基準を満たしていれば免除される可能性がきわめて高い」といった形で可能な限り明瞭な周知を行うことが、広く修学機会を提供するという観点で望ましいと考えます。

今回の案では収入基準の400万円→600万円の引き上げが提案されています。これについても、引き上げにあわせた予算の拡充が十分に行われ、新たな基準を満たす申請が概ね認められることを明確にしてください。

また、授業料免除の拡充策として「支援を学部生だけでなく大学院生にも広げること」とありますが、これは具体的にどのようなことでしょうか。現行の制度でも大学院生の授業料免除は行われていると理解していますが、これをどのように拡充するのか、具体的に説明をお願いします。

3. 国立大学の財政について思うこと

というわけで、今回の値上げ騒動についてはここまで書いてきた通りですが、(1)国立大学の財政難と(2)学生への転嫁という流れは今後も続くものと思われます。一時的に値上げが保留されたとしても、同じことが繰り返される可能性は高いでしょう。なぜこんなことになってしまったのか、どうすれば良いのか、一構成員として考えたことを最後に書いておきたいと思います。

(1)国立大学の財政難について

冒頭で紹介した声明にもある通り、国立大学における財政難の直接的な原因は、国からの運営費交付金の減少にあります。運営費交付金は国立大学の独立行政法人化以降およそ10年のあいだ漸減し、以降は概ね同程度の水準になっています。その代わりに増額されてきたのが、いわゆる競争的資金です。科研費など、審査を経て選ばれた一部のプロジェクトに割り当てられる予算を意味します。

冒頭で紹介した『研究費で作った本』も科研費の一種で作られているわけですが、この競争的資金というものが厄介です。しばしば指摘されることとして、新規の研究プロジェクト単位で予算がつくため施設の維持管理や教育等の基本的な支出に回すことができないという問題があります。基礎的な予算である運営費交付金が減った代わりに競争的な予算が増えた結果、光熱費や教育のための予算が不足しているというのが近年の国立大学の財政難の実態です。だからこそ、その分授業料を値上げして教育を受ける学生自身に負担させようという発想になるのだと思われます。

すでにお気づきの方もいるかもしれませんが、これを図式化するならば、『研究費で作った本』の制作費用も将来の学生への負担になっていると言えるかもしれません。これは極端な言い方ですが、全体として見れば今の大学で起ころうとしているのはこのようなこと、すなわち、有望とみなされた研究プロジェクトにだけ予算がつき、その分の負担が学生に転嫁されるという事態です。もちろん私は自分の研究が公費を投じるに値するものだと信じて申請書を書いたわけですが、だからといってこのようなトレードオフを望みません(そういうわけで、この記事にはささやかな罪滅ぼしの気持ちも込められています)。

ともあれ、先進的な研究を優遇する代わりに基礎的な研究や教育が手薄になるという路線は、長期的に見てかなりまずいことになりそうです。最も根本的な解決は運営費交付金の増額ですが、加えて、近年の大学経営の方向性として寄付金を基金とした運用益の活用があります。基本的にはこの2つの財源がこれからの国立大学にとって重要になるはずです。とはいえ、そもそも高等教育や研究に対する社会的な理解が得られなければ、運営費交付金の増額も寄付金も望めないでしょう。実際、教育を受けるのは学生なのだからその財源を学費として負担するべきだという主張にも、それなりに理があるように感じられます。「受益者負担」という論理に対して、大学への公費投入はどのように正当化されるのか、ここのところよく考えています。

(2)学生への転嫁について

私としては、国立大学の教育活動は原則的に学生自身の経済的負担に依存する形で行われるべきではないと考えています。この種の主張には、高等教育の受益者は学生ではなく社会全体だから、といった論拠が付随することが多いのですが、これは個人的にはあまり信じることができていません。このロジックでは直接的に社会の利益になるような教育や研究を行うべきという圧を強めることになり、公的な予算で運営される大学の強みが損なわれかねないからです。

では大学の強みは何かというと、サービスの提供と対価の支払いという等価交換的な関係がきちんと成立していない点にあるのではないかと思います。そもそも、大学において「学生」というのは非常に微妙な身分です。特に大学院生は、明らかに大学からサービスを受けるだけの存在ではありません。多くの院生が論文等で研究成果を発表しますし、グループでの研究が前提となる分野では実験等の実際的な作業の多くを担っているという話も聞きます。学部生にしても、対価を払って教育を受ける「客」というイメージにはそぐわないでしょう。というのも、基本的に大学の教育は学生が要望する内容を用意するというより、教員側が重要と考える内容を提示する形で行われてきたからです。近年ではこの関係自体が変わりつつあるようにも思われるものの、私は一般に教育というもののユニークさはここにあると考えています。つまり、「客」があらかじめ望んでいるわけではないものを勝手に提供する、それによって新たな関心が生まれるという点にこそ可能性があると思います。ここにはある種の「賭け」があると言っても良いでしょう。

実を言うと、これは必ずしも大学に限った話ではないかもしれません。おそらく世の中には案外こういった賭けの領域があって、部分的には似たようなことが起こっているはずです。そういった賭けを大規模に行える実験的な場として教育や研究が受け入れられてくれれば、というのが現時点での個人的な願いです。もちろんそのためには、賭けというのが時々思いがけない素敵な結果をもたらすものであることを示す必要があります。今回行った研究冊子の無料配布も、ささやかながらそのようなリターンの一種だったのだと、今は考えています。

今のところ大学はこのような賭けが比較的可能な場であり、その限りで、それ自体賭けるに値すると思います。したがってこれからの大学がするべきは、(賭けの結果ではなく)賭けること自体への信頼を取り戻すことではないでしょうか。大学と学生の関係をサービス提供者と受益者の関係に近づけることは、このような賭けの可能性を狭めることに繋がります。私が授業料の値上げに反対するのは、根本的にはこのような理由です。

(と書きつつ、「公的な予算を使った賭けへの信頼」というのも時代にそぐわない理念であり、大局的に見て大学がそのような場であり続けるのは難しいように感じてしまうのも事実です。とても残念なことですが、何か別の形を考えるときが来ているのかもしれない、とも思わざるを得ません。)