限りなく陽性に近いグレー:新型コロナ感染症(多分)の記録

7月下旬ごろ、これはもう十中八九コロナだろうという症状に見舞われた。のどの痛みに始まり、全身の倦怠感と37~38.5℃程度の発熱、痰の絡んだ咳へとゆるやかに経過した不調は4日程度続き、それらが収まった後もしばらくは空咳が残った。

すでに報道されていたオミクロン株の症状に見事に合致するように思われたのだが、これまた当時報道され始めた通り、近隣の発熱外来は完全にパンクしており、容易に診察を受けられる状況ではなかった。発熱等の症状がある方は発熱外来へ、発熱外来を受診する方は電話予約を、というフローも、電話が殺到して繋がりもしないというシンプルな事実の前には無力だ。

ある意味で「医療崩壊」を実感することになったわけだが、これはイメージしていたものとはだいぶ違った。報道で強調されてきたのは、重症者用の病床が不足し、救急の患者の受け入れ先が見つからないといった状況だったように思う。むろん本当に深刻なのはそういった事態なのだろうが、少なくとも自らの身に降りかかった「医療崩壊」はそのような切迫感とは無縁で、単に電話が繋がらないから寝ているしかないという、むしろどこか間の抜けたものだった。なんとなく、現代社会にとっての「崩壊」というのは多くの場合こういうことなのかもしれないと思った。例えば文明が「崩壊」するとして、それは大多数の人々の実感としては、まずはサーバーダウンや通信障害から始まるのではなかろうか。熱に浮かされた頭で、ぼんやりとそんなことを考えていた覚えがある。

ともかくそういうわけで、正式な検査や診断は早々にあきらめ、自主的に療養期間とすることにした。自宅待機状態でもさほど困ることのない環境にあることは不幸中の幸いだった。発症から10日間(+α)程度のあいだ、自宅に籠ること自体にはほとんど何の苦も見出されず、症状が強いうちはラジオを聴き、少し楽になってきたらアニメを、終盤にはフジロックの配信を見て過ごした。

味覚障害や嗅覚障害のような症状が全く見られなかったのも幸運だった。それどころか発熱時でも食欲はほとんど衰えず、奇妙なことに何を食べてもいつも以上に美味いのではないかというほどで、これだけまともに食べていればいずれは回復するだろうという、さして根拠のない自信にもつながった。もしも食べ物の味がしなかったら、精神的な負担はかなり増していただろうなと思う。

結局最後まで正式な陽性者と判定される機会はなかったので、これは正式な新型コロナ感染記ではないし、そもそも症状などには当然個人差が大きい。参考になる部分があるとも思えないが、参考にすることは勧めない。とりあえず言えるのは、スポーツドリンクや食料や解熱剤はストックしておくと良いという、本質的にはコロナと関係なく有効な一般論ぐらいだ。

ちなみに、私と同様の状態にあった人は少なくなかったようで、対策として、8月1日からは東京都でも自主的な抗原検査の結果で陽性者登録ができるような仕組みが整備されたらしい。まさにこの制度が想定しているであろう対象者だったのだが、これが始まる頃にはすでに症状はなく、タイミング的にちょうど無関係なままとなった。