「マンガ史の書かれ方×見つめ方――アイケ・エクスナ『コミックスと”物語マンガ”の起源』を巡って」を振り返る

だいぶ経ってしまったが、8月21日開催のオンラインシンポジウム「マンガ史の書かれ方×見つめ方」のことを振り返っておく。当日はzoom上で70人を超える参加があり、この手のイベントとして十分すぎる盛況ぶりだった。戦前のマンガ史というテーマに関心を持つ人がそれだけいたことには率直に驚いたし、ありがたい限りだ。

今回発表をお願いしたエクスナ氏の研究内容については引き続き紹介していきたいが、「鳥獣戯画以来の日本的伝統文化としてのマンガ」という一般的に根強い歴史観(現在ではベタにこのような主張をするマンガ研究者はほとんどいないと思われる)に対して、「1920年代以降にアメリカのコミックスの多大な影響のもとに成立したマンガ」という歴史観を提示するという基本的なコンセプトは、よく伝わったのではないかと思う。

詳しい内容については、ぜひM studiesで公開されているエクスナ氏の論考をお読みいただきたい。また、イベントに参加されていた鈴木淳也氏のツイートでも、簡潔かつ的確に要旨をまとめていただいている。まずはこちらを見てもらえれば、エクスナ氏の議論の面白さがお分かりいただけるはずだ。

私の理解する限りで一点だけ補足するとすれば、エクスナ氏の議論におけるAudiovisual Comicsの特徴は、必ずしもフキダシの音声的使用だけではないという点だろうか。ここでAudiovisual Comicsと呼ばれているのは、説明文を排して視覚的要素だけで状況を描こうとするスタイルのコミックス/マンガのことである。したがって、効果線やショックを示す星マークといった日本のマンガ論で「漫符」と呼ばれるような要素も、Audiovisual Comicsの特徴とされる。フキダシの音声的使用は、このスタイルを支える条件の1つという位置づけだ。

とはいえ、エクスナ氏の著書Comics and the Origins of Manga: A Revisionist Historyでも、音声的なフキダシが重要なポイントとして注目されていることは間違いない。この本では、フキダシの音声的使用の成立は、それ以前から漫符的な表現によってできあがりつつあったAudiovisual Comicsのスタイルを、ある種「完成」させた出来事として説明されている(pp.80-87)。

このあたりは、エクスナ氏の議論のなかでも判断の難しい部分ではないかと思う。つまり、Audiovisual Comicsがどの段階で「完全なものとして」成立したかというのは、一概には決め難い。これは、討議の中であがった「「正チャンの冒険」にもAudiovisual Comics的な傾向があったのではないか」という指摘や、Audiovisual Comics以前と以降のスタイルが「現実には明確に分離したわけでは無く、現代マンガにも説明台詞は沢山あるし、モノローグや解説は「絵ばなし」の形式だし、混在してる」のではないかという鈴木氏の感想にも通じるところだろう。Audiovisual Comicsとそれ以前の形式を明確に分けることができるのかという点については、さらなる議論の余地がありそうだ。

いずれにせよ、膨大な資料調査に基づき、形式的な連続性に注目する独自の歴史観を打ち出したエクスナ氏の議論は、日本マンガ史の研究にとって非常に重要なものだ。著書が邦訳され、広く読まれることを望む。今回のイベントの内容についても、何らかの参照可能なかたちでアーカイブ化したいと強く思っているが、これはまだ思っているだけで、何も決まってはいない。気長にお待ちいただくか、良いかたちをご提案いただければ幸いである。