『ユリイカ』2023年9月号のヤマシタトモコ特集に寄稿しました

『ユリイカ2023年9月号 特集=ヤマシタトモコ』に寄稿しました。「フレームの向こうへ:四角い「日記」、「違国」への入り口」というタイトルで、つい先日最終巻(第11巻)が刊行された『違国日記』について、マンガとしての表現に注目しながら論じています。

今年の夏はマンガ学会の発表や部会誌の編集などで過密気味だったのですが、個人的にも非常に思い入れのある作品で、一も二もなくお引き受けしました。「フレーム」をキーワードに、コマ割りやフキダシの配置、あるいは両者の関係が物語の主題とどのように結びついているのか、できる限り作品に即して考えてみたつもりです。

正直に言えば、この作品は読み返すたびに色々な箇所で泣いてしまうので、落ち着いて文章にしていくのに苦労しました。ひとまず個人的な感情の動きは置いておいて、画面の構造の特徴を客観的に説明するよう努めましたが、果たして成功しているでしょうか(もちろん、画面の構造が読者の心を動かしてしまうわけで、これらは大いに関係する話でもあります)。

先日私の手元にも完成した雑誌が届き、ネット上で書影を見たときから心打たれていた表紙のイラストに、改めて感動しています。『違国日記』を最後まで読めばなぜこのような場面なのかは明白ですが、それにしても二人の位置と視線の関係にはこの作品の全てが凝縮されているかのようです。page.13(単行本第3巻)で、槙生が朝の座るソファへと割り込んでいったあの感動的な瞬間を思い起こすべきかもしれません。もちろん、あの時とは逆に、このあと槙生は船から降り、一人漕ぎ出す朝を見送ろうとしているようです。とはいえ、描かれたのがやはり船出前の二人の極めて中途半端な距離感であったことは重要です。この近さと交わらなさ。作品を通して二人の関係は常にこうしたものだったようにも、あるいはむしろ物語の最後でやっとここに辿り着いたようにも思えます。同時に、落ち着いた色味で描かれた浜辺の情景の佇まいは、まさしく「詩と批評」の雑誌に相応しいものになっています。全くもってこれ以上ない、見事な表紙です。

もちろん内容も充実しており、特集自体は『違国日記』の完結に合わせて企画されたようですが、それ以外のヤマシタトモコ作品についての論考も多く掲載されています。特に石川優さん、水上文さん、いなだ易さんの論考は、それぞれ少しづつ異なる視点から、(2000年代の)ジャンルとしてのBLという文脈との関係のなかでヤマシタ作品を位置付けるもので、非常に面白く読みました。『違国日記』の読者はもちろん、初期のBL作品を初めとするその他の作品に思い入れがある方にとっても損はない特集だと思います。ぜひチェックしてみてください。

『ユリイカ』2023年9月号ヤマシタトモコ特集